前回の記事で、PTSDの話をしましたが、
生活するのもやっとな状態で、なぜ、頑張ることができたのか?
理由の一つとして、前記事で、
- 自分自身、普通だと思っていたから
- 普通だと思い込ませていた
ということを述べました。
実は、他に理由が2つあります。
個人的に大事な理由になるので、新たに記事にしています。
理由① 「死」の恐怖が「生きる」貪欲さを生みだした。
個人的な推測の域なのですが、
すごくしっくりきています。
与えられた人生を無駄にしない。
今までそういう思いが強かったです。
異常な執着心でした。
体調が悪かろうが、
気持ちが乗らなかろうが、
ムチ打って全力で頑張る。
追い込むことによって、自分自身を高め、深みのある人間になれる。
この考えは正しいと思いますが、
今までの僕は、外的刺激に身体が過剰反応する状態で、
普通に生活している時点で追い込まれているようなものでした。
そこから、追い込んだら身体は壊れてしまいますよね。
でも、僕は気づけませんでした。
なぜか?
それは、
- 体調不良を言い訳にしないために、無意識レベルで無理ができた。
- 無理して普通を装っていたため、周りにも気づかれなかった。
- そもそも無理していることに自分が気づかなかった。
そして、これらの考えの根本的なところは、
ということでした。
この推測に至った経緯
PTSDの治療の一環で、
自分自身の思いを掘り下げていたときのことです。
(この記事も治療の一環にしています。)
僕が嫌いなタイプの人を考えると、
- 頑張れるのに頑張れない人
- 他人に頼ってばっかりで自分は怠ける人
というのが浮かびました。
じゃあ僕はなぜ、こういう人が嫌いなんだ?
と考えたら、
・自分が思い通りに頑張れないから
という思いがあるからでした。
じゃあ僕はなぜ、思い通りに頑張れなかったのか?
と考えたら、
・頑張ろうとすることに貪欲だった。
ということから、
・「生きる」ことに貪欲だった。
という結論に至りました。
まさか、嫌いな人から自分を読み解くきっかけをもらえるなんて(笑)
人生、分からないものです!
理由② 周りに助けてくれる人がいっぱいいた。
これは、本当に感謝していることです。
僕の残りの人生全部使っても表せないくらい感謝の気持ちがあります。
辛いとき、苦しいとき、
友達、先輩、後輩、上司、家族など、
助けてくれる人がいっぱいいました。
ネガティブだった僕にずっと付き合ってくれた友達や先輩がいました。
友達と楽しく過ごせるようになりたいという思いで、
ポジティブ思考が得られました。
身体を壊したとき、
「そうなる前に連絡しろ!」
と怒ってくれた友達もいました。
迷惑をかけたらいけないという考えから、
頼っていいんだという考えに変わりました。
自律神経症状の治療が苦しいとき、
同じ苦しみを抱え、自分も体調が悪いのに、
僕の話を聞いてくれる年下の女の子がいました。
家族にも言えない悩みを打ち明ける人と出会えました。
身体が動かなくなって仕事を投げ出したのに、
「仕事のことは考えなくていいからゆっくり休め」
と言ってくれる上司がいました。
部下のことを守ってくれる目標となる上司と出会えました。
そして、
不安に思っているだろうに、
自分の行動を尊重してくれる妻。
自分の状況に絶望を感じても、
僕に元気と気力をくれる我が子。
僕は人の出会いに関して、本当に運が良いです。
素晴らしい人たちに囲まれて生きています。
周りに負けないくらい頑張ろうと思えたし、
なにより、周りの人のおかげで毎日が楽しかったです。
身体のことに気づけなかったのは反省していますが、
追い込まれるほどの苦しい思いをしたからこそ、
気づけた幸せかもしれません。
ネガティブな方に目を向けると
仕事で迷惑をかけてしまったこと、
体調不調で迷惑をかけてしまったこと、
幸せなことより遥かにいっぱいあります。
でも、今から僕にできることは、
だと思っています。
僕の将来の夢です。
まとめ
今回の記事において、PTSDでも今まで頑張ることができた理由は、
① 「死」の恐怖が「生きる」貪欲さを生みだした。
② 周りに助けてくれる人がいっぱいいた。
僕と同じような症状でも、真逆の状況になり、孤独になった人を実際に知っています。
同じ症状で苦しむ人にこうしたら良くなるとか、
こうしたら良いなどは決して言えません。
でも、
- 身体が壊れるほど頑張らなくていい
- 周りに助けてくれる素晴らしい人は存在する
- 世の中捨てたものじゃない
ということを、この記事を通じてお伝えしたいです。
少しでも共感してもらえる人がいると幸いです。


コメント